碧音papa’s BLOG

一回受けて落ちたから判る資格対策や、一度働いたからこそ判る職業の実情、他にも日常会話でサラリと使えたら格好いい慣用句や、目指せ自炊で月一万円‼️‼️など 後は日々の些末で不幸な出来事……………要は雑記ブログですね。長文失礼しました↓↓↓↓↓

高校の卒業式

今週のお題「卒業」

 

アラフォーにもなれば今まで様々な卒業に立ち会ってきました。

自身の卒業は勿論、子供たちの卒業式や友人らの卒業も。

職場の同僚の卒業?というか退職も沢山ありました。涙

自身の退職は、毎回逃げるように辞めているのでいい思い出は一切ないですが・・

 

そんな数々の卒業に纏わるエピソードの中で順位をつけるなら

ありきたりですが高校の卒業式です。

今回はお題スロットを初めて使って投稿します。

 北海道有朋高等学校 卒業式

私の母校です。

母校と言えるほど愛着もないですが。仕方ないですが母校です。

札幌市中央区南14条西14丁目にありました。

今は建て替えられて聾唖者の学校にキレイに生まれ変わっています。

在学中の校舎は結構古くて廊下を歩くと軋んでた記憶が・・。

 

出身中学から進学したのは私一人でしたので友達は一人もいない環境でした。

ただ、家からは近かったので選んだというだけです。

でも、家が近いという理由なら流石に同じ中学出身もいても可笑しくないのでは?と思われる方もいると思いますので、もう少し詳しく。

 

実はこの高校は当時札幌ではこの一校しかなかった単位制というシステムを取っていました。

普通は全日制ですよね。たまーに定時制に通う人もいましたが、単位制に通う人はほぼゼロ。本当に目辛しい進学でした。

当時私の中学から過去にストレートで進学したケースはなく、どちらかと言えば高校に進学したが諸事情で中退した人が入りなおす学校という感じでした。

まだまだ学歴フィルターが全盛期な世の中でしたので一般的な家庭なら自分の子供にコノ高校に通わせるなんて選択はしなかったんでしょうね。親ですもんね。

正直、この高校に通う!≒人生おしまい。みたいな感じでした。ちょっと大げさ?と思われるかも知れませんが、あくまで高校卒業というキャリアが欲しい人のための学校ですんで、繰り返しになりますが年齢が少し上の人や、どうしようもない素行不良の人、いじめられてメンタルがボロボロの人、他、やむを得ない状況で闇を抱えてる人が通う札幌唯一の駆け込み寺みたいな高校でしたので。。。悪気はないんですが当時通っていたか同級生の殆ども同じような感想を持っていると思います。

進学を決めた理由

先に近かったからと述べましたが他にも理由がありました。

  1. 私服:::これは大きかった。制服の魅力が当時は感じられなくて、なんか歌の歌詞ではないですが他のみんなと同じ服装を着て同じ授業をうけ、なんでも同じというのに強い嫌悪感がありエヅくくらい吐き気もして、理由は分からないのですが今思えば単純に思春期特有の・・・だったのかな?多分。とにかく当時は制服に袖を通すなんてとても考えられなくて。
  2. 時間割を自分で選べる::私は昼前、10時半にもなると如何してもお腹がすいてしまい全く授業に集中できず常にグーグーお腹が鳴っていました。勉強に集中できないわ、恥ずかしいわで兎に角自分自身で時間割を組めること魅力を感じたのも一つです。結果、算数?数学?は一単位も履修しませんでした。なんで高校数学は全く分かりません。二次方程式で終わっています。子供たちには全く教えることができません。今思えば数学的思考もこの時期に養えていたらすこし、違った人生だったのかな?と後悔・・・。
  3. 一人暮らしができる::家から近いと言いましたが家とは祖母の家で自身の家ではなく、コノ高校に通えば家から出られる!というのも大きかったです。中学時代にあまりいい思い出が無かったので離れたかったのだと思います。小さい世界で小さな自分の精神ですでに当時は一杯いっぱいで壊れる寸前だったのを記憶しています。ただ単に逃げたかった。ファミコンのように。押せばいつでもリセットできてNEWゲームが始められることが良かった。 コンテニューして新しい時分になれる気がしていました。年の離れた弟たちのことなど気にもかけずに自分のことばかり・・・最低な兄ですよね。因果応報で今は全く連絡が取れなくなってしまいました。そりゃそうですよね。自分勝手な兄など愛想付かされて当然。これも後悔です。タイムマシンで戻れるならこの頃に戻り家族の絆を深めるように自分だけでなく家族のために振舞えばよかったと。。。後悔しかない私の人生。
高校生活

こんな感じでの入学だったので当然楽しい高校生活を送れるわけもなく、直ぐに学校にもいかなくなり一日中家にいてレンタルビデオを四六時中見ていました。

特に岩井俊二監督の作品を見ていました。これを見ると私の黒歴史が今でも鮮明に思い出されます。

結果、一年経過して取得できた単位は6単位です。たった6単位・・・一年で。もう留年決定です。

でも、これじゃいけないと流石に私も思うわけです。

それで、通うわけです、で二年目はちょっと増えて30単位になりました。。でも30単位ですよ!卒業までに86単位取らなければならないのに!

もう終わってますよね。で、最後の三年生になるわけです。周りは進学や就職や色々話していましたが私は特に仲のいい友達もいなかったので蚊帳の外。

ですがここで転機が訪れます。5月生まれだった私は早めに18歳になるわけで・・18歳になると就けるバイトの幅が広がるわけで・・ウチの高校は校歌にもある通り、♪働き学ぶぅ~有朋のぉ~   と学校が働くことを奨励している目辛しい学校だったので働くわけですよ。

今でこそ信じられませんが当時はアルバイトって高校生なら制限されていた記憶が・・・校則違反で隠れてバイトっていうのが普通でした。

で、勤めた先のバイトの2個上の先輩が当時で言うメンズエッグ系の人たちで僕もそれに染まっていくのです。そこから高校も楽しくなりました。

一日のルーティンとして

  • 朝からバイト
  • 夜18時ころに登校
  • 21時過ぎに終了
  • 深夜に日サロ

休みの日は・・・

  • 古着屋巡り
  • 日サロ
  • デート

といった感じです。

ガラッと変わりました。やはりというか、その時気づいたんですが

自分自身に自信が持てなかったのが全ての元凶でした。

自分がネガティブだから周りもそんなヤツと仲良く話したりしないですよね。

自分が変われば自然と、何もするわけでもなく周囲がガラッと変わりました。

来る話も楽しいものばかりになったし、友達もできたし、彼女もできたし。

でも、最初の二年間の自堕落が響いてもう一年高校に通うことにはなりましたが、

高校4年目が一番楽しく過ごせました。

おまけ

で、高校4年目はちゃんと頑張って登校したのですがここで思わぬミス!

単位が2単位計算違いでたりず、、またもや卒業できず・・・数学取らなかったのが此処で響きました・・・計算すらマトモにできなくなっていました。

流石に5年目は恥ずかしかったです。5年ってアホですよね。

でも、2単位だけ足りなかったので半年で卒業を無事迎えることができました。

そんな中で迎えた卒業式。それが一番の思い出です。

卒業式

前置きが長くなりましたがやっと お題 の卒業式です。

桜咲く3月の清々しい季節で・・・という訳ではなく9月中旬の卒業式でした。

当時私と同じ卒業式に出席したのは9人。

なんといたんですよ。私と同じ計算ミスした方々が。ホッとしました。

ま、みんな友達なんですが。

 

で、THE卒業式といった感じのスーツとか、所謂ハレの日に着るもので出席は全くせず、私の卒業式の服装は、当時はやったカラーパンツ(水色)に裏原系のタッカーいTシャツに赤いナイロンジャケットにキムタクのビューティフルライフが流行っていたのでミディアムロングの外巻きにして、勿論肌はオリンピック(日焼けマシーンの機種)でガンガン焼いてダナーか、レッドウィングの赤茶のブーツでした!当然 親は来ませんよ。

 

そこで撮った一枚のスナップ写真。。失くしてしまった~~~

 

何処に行ったかな?唯一の思い出の写真なのに。。。前の奥さんとの結婚式の時には式で使ったからあったと思うんだけど・・・捨てられたっぽいですね。

そりゃ当然か。。。

まとめ

いろんな卒業式があります。

卒業する人の数だけ、それにまつわる多種多様なエピソードがあります。

どんな下らないエピソードでも、自分にとっては大切な思い出です。

 

思えば後悔の連続の人生でした。でも、この高校時代の経験から後悔しない生き方を地で学んだので、これ以降は多少見切り発車でもとりあえずヤル!という選択を取り続けてきたので今は後悔はないです。

いまでも後悔しない生き方を実践しています。

周りはあり得ない!とかトヤカク言いますが、私はもう、ヤラナカッタことによっての後悔はしたくないのです。

 

で、その選択をして辛いことは多々ありましたが後悔は一切ありません。

これは断言できます。

ただ、学生時代から後悔しない人生が一番理想ですが、それは流石に誰しも無理ですね?なんでこれくらいが丁度良いのかな?とも最近感じています。

 

あ、ひとつ書き忘れました。

高校卒業以降は後悔していない!と書きましたが、高校の卒業式当日に最後の後悔をしました。

当時、付き合う付き合わないの微妙な関係だった同級の一個上の子がいました。私が19・20だから、その子は20・21の年です。じつは、その子も2単位足りなくて卒業を半年伸びていたのですが、実はその子はその2単位も取得できず、もう半年卒業が伸びてしまったのです。私は掛ける声も見つからず、じれったい気持ちを抱えたまま彼女に声を掛けることなく、さらーっと卒業してしまいました。当時携帯が流行りだした頃だったので電話番号はしっていたのですが、連絡できず、マルチナンバーポータブルが浸透していなかったので携帯が壊れたら都度、番号も変わるのが普通だったので久しぶりにかけても当然知らない人に繋がってしまい。。

自分の気持ちを伝えることができずじまいでした。。

 

あの時、ちゃんと自分の気持ちを伝えていれば今頃どうなっていたかな?

 

ま、思い出は美化されるものなんで。

要するに、縁が無かったということですよね。多分・・・・。

 

取り留めのない拙い文章で何の推敲もしていないのに最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。

 

では。